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下諏訪に行ってきました。

2時に伺います...と約束して
火曜日の定休日に下諏訪にあるハーモ美術館に行ってきました。
ここは「グランマ モーゼス」「アンリ ルソー」のコレクションで有名です。
とても素敵な美術館です。
そこの一角で「平野喜久子版画展」が開催されています。
平野喜久子氏は浜松出身で1956年に東京学芸大学に入学し
その後27歳で亡くなるまで制作をした版画家です。
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平野喜久子氏に今、光を当て発掘した方は
下諏訪の近くに在住の浦野尚子さんです。
ハーモ美術館主催にまでにした浦野さんのプロデュース力には
深く感銘しました。
丁度伺った時は取材を受けていました。
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ハーモ美術館ホームページより
諏訪湖湖畔の素敵なロケーションです。
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彼女なりに今までの成り行きや
平野喜久子さんが偉大な芸術家であったかをまとめていました。
私達の顔を見ると、これ以上ない笑顔で迎えてくれました。
「私泣いてしまうワ〜」なんて感激してくださいました。
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観覧者が来られると
ひとつひとつ説明されています。
お声がハスキーになっていました。
旅人は皆満足そうに、うなずき笑顔でした。
「おもてなし」とはこういうことですね。
私もそうしたいです。
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お別れに記念撮影。
諏訪には又伺います。
「平野喜久子版画展」
下諏訪ハーモ美術館で7月9日までです。
もし行かれたらページワンのことを話してくださいね。

by page-1h | 2017-06-28 17:02 | | Trackback | Comments(0)

「平野喜久子」と「浦野尚子」の出会い

私が主人とふたりでページワンを開店して
もう33年目に入っていますが
ページワンとは人と人の繋がりだと...
それだけで、やって来れたと月並みなことを思います。

昭和41年当時将来に光を放つだろうという一人の版画家が
27歳で病死しました。
その画家「平野喜久子」は千葉在住で浜松の出身でした。
母親が亡くなり遺品である作品に陽が当たり
浜松で小さな美術館を作ったのが2009年の夏でした。
ご家族と仲の良かったページワンはその額装を任されたのです。
でもその後小さな美術館は都合で閉館されていました。
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2016年春、息子さんが入学されて訪れた千葉市の
大学近くの古本屋でゴーギャンの本を買われたのが
長野県諏訪湖畔の街に住む浦野尚子さんです。
本の裏表紙に「平野喜久子蔵」と記されていて
ネット検索でページワンのブログに繋がったのです。

そして浦野尚子さんは「平野喜久子」に感銘して
氏のことを詳しく調べ浜松在住の家族とも連絡をとり
下諏訪の「ハーモ美術館」で6月24日から
平野喜久子版画展を開催することになったのです。
浦野さんの情熱は計りきれません、
その、ひたむきな努力と美術に対する優しさに私は感動しました。

昭和の版画界の彗星になった平野喜久子氏...
私も鑑賞してまた紹介したいと思っています。
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by page-1h | 2017-06-19 16:42 | アート | Trackback | Comments(0)

平野貴久子さんに捧げる


毎日の平凡な日常の中で人が知り合っていくことが、どんなに素晴しいことかと思います。
大袈裟かもしれませんが信じ合うことで始まります。

44年前「平野貴久子」という版画家が、27才の生涯を終えました。
あまりの悲しみに母は彼女の作品を世に出すことをしませんでした。
当時の仲間には小磯良平や滝平二郎などがいた時代です。

彼女の姉も今は70才を越えて預かっている妹の作品をどうしようと考えていたようです。
そして同じ信仰をも持つ友人に託すことになりました。
私達はその友人に額装の相談を受けることになったのです。
あまりの素晴しい作品に胸を打たれました。
ページワンは額装の全てを任されました。
そこには「平野貴久子」に関わる多くの人達がそれぞれにページワンと繋がっていたからです。
そして信用してくださいました。

私達は力の限りの額装をしました。良い仕事が出来ました。
そのアトリエには45点の作品があります。
少しずつ公開の機会ができることでしょう。
感激と感謝です。













by page-1h | 2009-07-03 19:55 | 浜松 | Trackback | Comments(2)